保守主義と自由主義

保守主義と自由主義

保守主義を知る

伝統か、革新か

古いものと新しいもの、どちらを大切にするべきかという答えを持ちかけられた場合、どちらを重視するべきかと答える人が多いだろうか。筆者個人の見解としては、昨今の状況を鑑みて新しいものを重視した方が断然良い、などと答える人が多いかもしれない。何に対してというわけではなく、ただ概念として求められると迷ってしまうかもしれない。そしてこの古いものと新しいものを天秤に掛けた質問を尋ねるにしても、対象とする物をどれに焦点を絞って話をしているかでまた変わってくる。はかりとして用いられる材料がスマホや洋服といった、市場において入れ替わり立ち代りの激しい商品事情に当てはめて考えると、大多数が新しいものが良いと答えるだろう。古い物が良いと答える人の中にはブランド物などという例外過ぎる答えを提示する人もいるかもしれない。対象を定めないでただ漠然と古いものと新しいもの、どちらに価値を見出すかという質問に迷う姿勢を見せるほうがこの時正しいのかもしれない。

ではこの古いものを『伝統』か『革新』かで選べと聞かれたら、答えは二分するだろうと予測する。ただ答えを抽象的から具体的にするだけで質問の意図も印象も見事なまでに異なってくるだろう。そしてこの質問でどちらが正しい答えかというのを決める事は難しい、どちらにも利点が存在しており、そしてどちらにもそれなりに欠点が存在しているからだ。物事においてそれは自明の理というように当然のことだが、どちらが正しくて、間違っているのかという極端な答えを導き出すことはできないだろう。

この問題はこれからも説かれ続けていくことになるだろうということで区切りをつけて、本題に移ろうとする。古代より人は常に伝統と革新という二つの狭間で迷いながら、時に前進し、時に後退しては、その時折で伝統と革新の両方を利用し続けている。便利な道具のように聞こえるが、その代わり伝統を重んじれば革新的な見方は無くなり視野は狭くなる、一方革新を推進し続けてしまえば伝統という由緒ある歴史を風化させてしまうという恐れがある、などといった危険性も出てくる。

どちらも外せない問題であり軽視してはいけない問題だ、人は常にこうした2つの物事のせめぎ合いに立たされては、その都度議論を交わしていくこととなる。ではその答えを導き出すことが出来るのかと聞かれたら、まず不可能だろう。どちらの方針を重視したとしても、内心ではその片方の良さを人は無自覚に理解しているからだ。だからこそ矛盾が生じる、そして人同士の争いが起きるのかもしれない。こうして考えてみると、この二つの原理は人間の根源的な感情に直結しているのかもしれない。

そんな原理の中、今回は伝統という意味で政治思想の1つとして昨今でも度々議論されている『保守主義』、という言葉について考察をしていこうと思う。保守主義とは結局どういうことなのか、そして保守主義を導入することで、国にどのような影響をもたらすのか、その点についても触れながら話を展開していこう。

保守主義とは

保守主義とは何か、と聞かれたら一言で答えるのは難しい。何より政治思想についてこれはこれであると簡単に述べることが出来ない事は、最近の日本政治事情を垣間見れば理解できるだろう。一重にこれがこれだからといえれば単純明快で至極分かりやすいのだが、そうもいかないのがこの世界の特徴だ。そんな世界で頻繁に用いられている保守主義とはどういう定義なのかについて、アメリカの政治学者故『サミュエル・R・ハンティントン』は次のように話している。

1:貴族定義
史実において特殊な運動を主に定義し、フランス革命のように代表される封建主義のような考え方
2:自律的定義
思想そのものの内容や固有観念、価値といったものを定義し、その中で保守主義とは正義や秩序、均衡などといった普遍的価値に値するという考え方
3:状況的定義
どのような時代において史実という枠に当てはまらない定義として扱われ、現存する社会制度を肯定するものだとする考え方

だと考えていると述べたが、それでも1と2については定義として曖昧であり不明瞭と述べているものの、3についても現在の社会制度を肯定しているだけで、その先に何かが誕生するような進歩的概論は存在しないと考えている。つまり、一般的にあえて固定するのであれば上述の三つの定義が最も定番となってはいるものの、どれも肯定的と感じるところもあれば、否定的とも取れるような見方をすることが出来るということを指している。アンバランスな考え方だが、政治思想とはこういうものだ。1つの物事に捉われながらも、更に生じるもう1つの事象を軽視することも出来ないという意味では、この主義思想もどこか不完全な部分が存在しているといえるのかもしれない。

保守主義の原理として

また哲学者のアンソニー・クイントンはこの保守主義を突き動かす原理について述べている。その原理とはどのようなものなのかだが、それは次の原理によって構成されていると考えたという。

伝統主義
確立された慣習や制度に対する保守主義者の愛着、尊敬という形を取るもの
有機主義的
社会という一個体は自然に成長するものであって、機械的なよせ集めから構成されるモノではなく、組織された生きた全体ということ
政治的懐疑主義
政治的な問題を解決するには、歴史が積み上げてきた社会的経験の中においてその知識を見出すことが出来るということ

保守主義とはこうした原理によって構成された政治思想であるということであると考えられた。この三つの原理を見れば何となく理解できると思うが、軍隊としては立派な思想かもしれないが、非常に閉鎖的な考え方をしていると取れるだろう。こうした考え方の日本人が良く知る例として挙げられる事項は、やはり江戸時代における鎖国ではないだろうか。その時代、極端に諸外国の勢力が日本に入り込むことを嫌った徳川家は日本という国から徹底的に外国という文化を排他的に扱うことにした。一部の港湾都市を除いた場所で行われたこの政策によって、日本という国が井の中の蛙という存在として扱ってもおかしくないような状況になったことだけは間違いない。しかしこれで本当に日本という国が一致団結したかどうか、という点についてはNOと答えていいだろう。結果として徳川の世の終焉と共に日本に再度外国の文化が流通するようになると、それまで知らなかった文化を知ることになる。

この例を考えると保守主義というものがどういうものかというのを知ることが出来るだろう。

こういう風に考えている人もいる

保守主義についての説明をしたが、これでは正直わかりにくいという人もいるだろう。ではもう少し噛み砕いた言い方はないのかと探していたところ、保守主義の事をこのように表現している人もいる。

保守主義とは、
神や自然などを畏怖する対象とし、
科学技術が万能の叡智だとする考え方を持つべからず

というものだ。これはこれで極端な見方のように思えるが、側面として見ればある種正しい部分もあると肯定することが出来る。人間の意志そのもので社会そのものを仕組みを理想的なまで構成して作り上げる事は不可能であるということを述べているとも述べているので、どことなく宗教的思想が混じっているために反感を買うことになりそうな意見なので肯定するということは中々出来ないかも知れない。筆者としてはこうした考え方も面白いとは思うが、人間が社会の仕組みに対してどのような干渉を行っても改変することが出来ないという、そんな極端なことは思わない。確かにあらゆる社会の体制を整える事は不可能かもしれないが、人間が作り出した社会について話は別だろう。人間自身が王ないし、神になって国という国家を作り上げることで一種の序列を生み出すことに成功した。そうした社会において人間は頂点に立つ存在だと考えることも出来る。

誤解を招くといけないので付け加えておくと、あくまでこのように自然という存在を第一に考えるとするなら、とする筆者独自の見解となっているのでそこのところは説明しておく。政治的思想とは常に己が信ずる道にこそ正義があり、そしてその先に真の安寧が約束された未来があるという信念を持つことによって生じる特異な考え方となっている。